晴れ ”余白の美学”について  (そうかもな話)

j1l2004-03-17

『好んで着る服は、タンスの中の20%に過ぎない。犯罪の80%は犯罪者全体の20%によって行われている』どこかの経済学者が発見した法則だ。彼はデパートの一日の売り上げの80%がそのデパートの客のうち20%を占める常連客によるものであることを発見、これを『20対80の法則』「パレートの法則」と名付けた。
アリの生態研究を通しても、この法則の別の意味を知る事が出来る。アリは一日に20%だけ集中して働き、熱心に働くアリは集団の20%だった。が、面白い事に20%の勤勉なアリだけを集めると、そのまた20%だけが熱心に働く。この法則を適用すると、すべてのことにエネルギーを注ぐより、努力するべき瞬間に力を集中する方が賢明とゆうことになる。しかしそうすると一日の中で最も重要な仕事をする20%の時間と、人生の最も重要なことを成就する20%の時間だけが重要で、残りの80%は無意味なのか、、、無意味に思える80%の時間が存在するがゆえに20%の効率的な結果が可能なのだ。それをパレートの法則に置き換えて表現するなら、「20%の効率が存在するためには必ず80%の余裕が必要だ」とゆうことになる。
一幅の絵の座を占めている余白を通して絵と点の美しさを見ることがある、沈黙の中の一言が力を発揮するように、80%の空白が支えてくれている無言の力によってだけ、20%の価値が表れる。無意味に見えるものを受容することを知る、新鮮な”余白の美学”も悟らねばならない。ふむふむ、ふーん。